金沢区に暮らしている人なら、一度は彼を見かけたことがあるに違いありません。いろいろなイベント会場に登場し、周囲にはいつも人だかりができています。大道芸人として活動する彼の名前は遠見幸蔵さん、「ジーコ」という芸名で通っています。
北海道出身の彼。中学生のときに実家を飛び出し、神戸で船荷を下ろす仕事などをしてきたと言います。その後、川﨑で暮らしていたお姉さんを頼って横浜へ。実業団のサッカー選手として活動するなど、さまざまな経験をされてきました。
金属加工業を行う現在の会社に就職したのは22歳のとき。以来、50年以上にわたって勤め、74歳となった現在も現役で働いています。
「実業団のサッカーチームが解散になり、次の仕事を探していたときでした。学歴も経験もありませんでしたが、募集広告を見て応募。大人から見ると、当時の私はちゃらちゃらして見えたのかもしれません。工場長と面接したときに『採用してもどうせ来ないんだから面接したって無駄だろう。本当に働く気があるのなら明日から来い』と言われ、売り言葉に買い言葉で『いや、必ず来ますよ』と約束し、そのまま就職しました」
芸のベースになっているパントマイムを始めたのは、なんと50歳になってからのこと。「孫娘を喜ばせたい」という思いがきっかけだったそうです。横浜にぎわい座で開催されていたパントマイム教室に通い、目の前に壁があるかのように振る舞う動作、軽いモノを重いモノのように見せる動作など、パントマイムの基本を身に付けました。もともとサッカーなど運動が好きだったジーコさん、体を動かすこと、器用さには自信あり。言葉が分からなくても、道具がなくても楽しめるのがパントマイムの魅力、と語ります。
「ただ、パントマイムだけでは子どもに見せても、そのうち飽きてしまうんです。そこでバルーンやジャグリング、マジックの技術も覚え、それらを組み合わせて今の芸風になりました」
ジーコさんの大道芸は多くの人が知るところになり、イベントの盛り上げ役などとして声がかかるように。週末の度に芸を披露するようになります。
同時に、子どもたちに大道芸を教える活動も始まりました。金沢区の施設で計5回の講座を開いたときには、毎回20名の子どもたちが参加。「ダウン症の子どもが必死に練習して、皿回しができるようになったときは本当に感激しました」と、大道芸を始めたおかげで地域社会に貢献できる喜びを語ります。
2011年に東日本大震災が発生したときには被災地へと赴き、芸を披露。以降、何年にもわたって被災地の保育園や地域サロンを訪れてきました。成長したお孫さんとともに芸を披露したこともあります。最初はお孫さんのために始めた大道芸が、いつしか多く人の心を癒やすコミュニケーションツールになりました。
「ジャグリングもマジックも、技術では本物のプロや若い人にかないません。技で対抗しようとはせず、クラブ(ジャグリングで使う棒)のかわりに靴や鍋の蓋、サッカーボールでジャグリングするなど、観る人にちょっとした驚きを与えられるように工夫しています!」
金沢区には社会貢献意識高く活動している人が多い、そうした人が頑張っている限り、私も大道芸をやめるわけにはいきません! と力強く語ってくれました。